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この日だけ2月 28日 金 .
南洋堂書店でのイベントで案の定、音痴な歌をさらして帰ってきました。ああ、もっと歌がうまい人に歌ってもらえばよかったのに。

たぶん呼んでくれた藤村さんたちに、じぶん自身からは何ももたらすことができなかった。ほんとうに申しわけないと思う。あと、南洋堂書店さんにも。

「建築メディアに議論を取り戻す」という藤村さんに通底する問題意識(平塚の理解だから正確かは、わからない)があるとすると、わたくしがすごい議論オンチだったことが、その大きな原因だったような気もする。問題提起、という言葉にするとしっくり来るんだけど、不思議だ。

予定していたスケジュールは以下の通り。
20:05-20:45 トーク(第1部)「(仮)『勝手メディア』の現在」
20:45-21:30 トーク(第2部)「(仮)けんちく書の近未来」

話の内容はテンパってたから、かなり忘れた……。そのなかで宿題と自分が受け止めた内容と、その回答のメモ。質問は呪いの言葉のようであり、貯めて熟成させるよりさっさと吐き出した方がよさそう。

・「勝手メディア」の可能性とは? RAJ的な生産的な勝手メディアはともかく、非生産的なブログや引きこもりタイプの人間の発信についてどう捉えるか。
ーーうっかりものすごく前提をすっ飛ばしてしまったのだが、個人ブログのような無数の解釈の群れたる「勝手メディア」があふれる中で、解釈だけじゃない勝手メディアが出てきていて面白いよ、という感じの特集を「建築雑誌」4月号でやろうと思っている。で、勝手メディアの可能性として何があるか、と何度か問われたのだが……はじまりはすべてのメディアは勝手であるとして、いまのメディアは形に自由度や選択肢が多い。ゼロからアーキテクチャをつくらずとも、ありもののツールを組み合わせて何かメディアを設えるのは、建築の人は特に盛んだし得意なのではないだろうか。メディアの設計者としての可能性があるかもしれない。非生産的な姿勢で楽しめて参加できる(たとえばニコニコ動画みたいな)建築メディアが設計されるといいかもしれないけど、それはどんなものだろう……。

・フィジカルなメディアの可能性とは?
ーーメディアのプラットフォーム自体がフィジカルに近づきつつある。ケータイとか、iPodとか。写真や図面が中心の重くてゴツイ建築メディアも、新しいプラットフォームが開発されれば変わりうる。たとえば三次元モニタとか。紙メディアの可能性としては、ある時間で切り取る「切断」の力は残る気がする。

・平塚は、なんでウェブでは面白い文章なのに、紙メディアでは面白くない文章なのか。ひいてはネット世界の面白は、どうして紙に反映できないのか。
ーー(オトナの事情他いろいろ抜きにして)一般的に言えるのは、主語が「私」じゃないから、ではないか。

あと、
「1995年以後」を選手名鑑的、と言ったら反論があった。わかる。カタログ的と言う気はなかったのですが。新聞を本にまとめると、面積配分とヒエラルキーと戦力差が明快になったり歴史的価値が強くなったりする、という書籍化に伴うメディアの持つ性格の変化について言いたかった気がする。どちらかというとシリーズドラマやアニメのDVD化に近いかも知れない。仮設建築と建築基準法を通した建築の違いみたいなものも感じる。藤村さんが積極的に試みる、紙媒体とネットを架橋する、書籍を軸にブロゴソフィアをつくろう、という試みは、ひとつの建築を拠点に都市レベルに話を広げる姿勢にも似ているな〜。

最後は藤村さんにより建築と建築メディア界隈にある、いろいろな二面性を許容しつつ架橋したいね、みたいなまとめがなされた。(ザックリですまんマジ記憶がないのだ)

個人的には建築の中の問題意識とそうじゃない人との認識の二面性には強い興味と関心があり、そこを架橋するような仕事を主体的にやってきた。今後の可能性としては「地震こわいよ」とか「柱が何で細くないといかんのか?」といった建築専門じゃない人が、直感的に不安を持ったり、疑問を抱いたり、入って来やすいところを回答していくことに照準がある。アートと同列に語られるような建築の文化的な側面は、ある程度浸透していて、その話題だけでさらに拡張するのは限界があるのかもしれない。もはや完成物を通した解釈は無数の勝手メディアが勝手にやれる状況に来てるし。生産現場やテクノロジーに踏み込んだ面白さ、クリエイティブなところをわかりやすさとキャッチーさを伴って紹介したい、気もする。

ではまた来週大阪京都でがんばってください。今回の行脚シリーズは、個人的には、チームラウンドアバウトの藤村さん以外のメンバーも前に出ておしゃべりする、というのが新鮮だと思うので、まわしができる岡田さんがホストを務める3/8京都は期待できる気がするよ。

以上ひとり反省会おわり。

【14−10−18(一千万馬券のうた)】

そぼ降る雨の中 メインレースが始まった
人気の10番は気合充分で 満を持してレースに臨む

ブービー人気の14番と どんけつ人気の18番は
仲良く彼らの指定席 どんけつ付近を走ってた

グレード1のレースだが
14番の調教師は 何の期待もしてなかったので
よその競馬場で仕事をしていた

14−10−18 来れば一千万馬券
14−10−18 雨の東京競馬場


<中略>

人気の10番が走る ぬかるみに足を取られながらも
すがる馬を振り切って ゴールに向かってひた走る
実力はあったとて いつも2着に甘んじる
勝ちきれない馬ともう言わせない
やっと運が巡ってきたのだ


<中略>

(ところがなんとあの14番が勝ってしまい、
さらにどんけつ人気の18番が3着に入った。
3連単の配当は重賞史上最高の9739870円を記録した)

調教師すら予期せぬことが
われわれにわかるはずがない
世の中にはわからぬことが
わかることよりはるかに多い

もうだめだと思う時
実際もうほとんどだめでしょうけど
この数字を口に唱えりゃ活路が開けるかもしれまへんで

14−10−18 人生のどしゃ降りに
14−10−18 君にも来るぞ 一千万馬券


(作詞・作曲・演奏・うた 須山公美子

*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜


このごろ1日5回は口をついて出てくるしみじみいい歌なのでいつか紹介したいと思っていたのですが、そのためだけにこのスペースを使うのがなんだか申し訳なかったので(とくにdezain.netからわざわざ飛んでくる人とかに)、左に長文が来たこの機に。JASRACに登録されていないのをいいことに少し多めに引用してみた。

歌われているレースは2007年NHKマイルカップ。実話。14番の調教師がよそで仕事をしていたのも実話。そうあのピンクカメオの。

「もうだめだと思う時 実際もうほとんどだめでしょうけど」。根拠のない励ましとか慰めをしないあたりが誠実で現実的でしみる。癒しとはこういう言葉のことだ。人生のどしゃ降りにこの歌に出会いたかった。

ちなみにその後、14番は着順どんけつ付近が指定席になり、奇跡に箔がつきました。勝ちきれない10番はどうにか2回勝ちました。