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この日だけ6月 28日 火 .


その4。

かもめの玉子(ミニ)を100個ぐらい買ったので仕事場で配った。被災地ボランティアとか行かなきゃなーと思ってる人は結構いるけど、実際に行くための情報を持っている人は少ない。そして思った以上に誤解が多い。

誤解の例。盛岡や花巻なんかの内陸都市部もまだ非常時モード、一般人は飛行機も乗れない、観光どころじゃない。ボラはNPOや学校なんかの団体を通さないと個人では行けない。しかも一週間とか長期で行かないとダメ。

壊滅的な被害を受けたところが全然片付いてないというのは伝わってるけど、それ以外の地域で平常運転(表面上は)を取り戻しつつあるというのが伝わってない。まあ私も行くまで知らなかったし。非常はニュースになるけど平常はならないからね。でもそういう情報も伝えた方がいいと思うのよ。ここの宿は開いてます、ここは遊びに来ても大丈夫です、そういうことを知らせなかったら敬遠されっぱなしだし。

遠野も平泉も盛岡も花巻もすごくきれいないいところだったけど、本当は大槌や釜石や宮古や大船渡や陸前高田の人もそう言ってほしかっただろうな、きれいな町と風景を見てほしかっただろうなと思うとちょっと泣きたくなります。


この日だけ6月 27日 月 .


そして半分(以上)は観光である。その3。

東北本線に乗って平泉に行きました。車窓がすごくいい。丘みたいなゆるゆるした低い山がずっと遠くまで続いていて、山の森じゃなくて平地の森がちょこちょこある。日本なのに。川がまたいい。広くてゆったりしている。日本なのに。こんなにゆっくり流れる川は河口にしかないと思ってた。(でも雨が降ると暴れて町が沈むらしく、カサリン台風では水がここ(3.5m)まで来ましたっていう記念碑的なものが平泉駅前に立っている)

こういう風景って(国内では)意外に見たことがなかった気がするなあ。なんというか、山も谷も彫りが浅いのです。周りが山なのに空が広くて明るい地形。今の季節は田んぼの水に映って景色2倍。

中尊寺もゆるーい丘に立っている。お堂の配置もおおらかでゆったりしてて、まあ新緑ってのもあるけど森が明るくて、山のお寺というよりは庭園ぽい。ああここは極楽テーマパークなんだな。たくさんの神様仏様が拝めて、能舞台(近世だけど)までついている。

毛越寺庭園もおもしろかった。平安庭園の輪郭とパーツの遺構だけが残ってて、お寺の廃墟部分は芝生と松になってて、なんかコンセプチュアルだ。植栽がほとんどなくて模型っぽいのだ。なぜかモエレ沼公園を思い出した。

「兵どもが夢のあと」が詠まれたらしい高館義経堂って高台に上ると、きみどりを切ってゆるくゆるく蛇行する北上川が一望できる。そして川を迂回するように(景観への配慮)、堤防とバイパスが弓なりにぐぐーと走っていて、とてもかっこいい田園土木ビュー。

ずんだもうまいが「えごま」のお餅が猛烈にうまい。黒ごまペーストだと思って食べたらえもいわれぬハーブのような芳香がして驚いた。お店の人に聞いたらえごまの実(葉じゃなくて)なんだって。あとくるみのお餅も猛烈うまかった。くるみペーストが生クリーム加えたみたいにねっとりして、やっぱりハーブみたいないい香りがするんだけど、砂糖と塩とみりんだけなんだって。いいくるみを使うとこうなるんだって。

見たことのない山と川と庭を見て、食べたことのないおいしい食べ物を食べた。平泉は予想をはるかに越えてエキゾチックだった。そして電動アシスト自転車はすばらしい。翼の生えたブーツってこれのことだったのか。

食べ物といえば盛岡の人は焼肉屋で冷麺だけ食べたりするらしい。焼肉を食べに行くときは冷麺のおいしい店に行くらしい。焼肉屋に「冷麺焼肉セット」というすばらしいメヌーがある。冷麺に少量の焼肉3種とナムルがついて1人前1650円。なにこれ京都でもやってほしい。よそ者にはややハードルの高いじゃじゃ麺もボラバスで知り合った地元の女性2人に連れてってもらった。しかも車で温泉にも連れてってもらった。岩手に手伝いにきたつもりなのに逆にいい思いしかさせてもらってないや。

ボランティア行ったって言ったらすごいとかえらいとか言われることがあるけど、こんなふつうの旅行だからひとつもえらくないです。災害直後の混乱期にテント背負って行く人はすごいけどね。


この日だけ6月 26日 日 .


その2。

2日目は大槌行きのバスに乗った。今日は@natsumi_iさんと一緒。土曜日のせいか参加者の年齢層高め。土曜は社会人がたくさん来るので、自営業や自由業などの野良大人(©@yoshihirohoriiさん)や、留年が決定した学生のみんなたちはなるべく平日に行きましょう。

本日の作業は雇用促進住宅すなわち団地の外構の掃除。まずはフェンスにえたいのしれない綿状のものがびっしり貼りついているので手作業で取る。説明がしづらいけど、たぶん断熱材の繊維と、布類の繊維と、泥が混じったみたいな灰色のもの。フェンスが洗濯ネットみたいな役割をしたのだな。被災地では今まで見たことのなかった種類のごみというか、がれきというか、「もの」の今まで見たことなかった様相を見つけて戸惑う。屋根瓦の上にお茶わんが載るなんてふつうはないよね。フェンスは波で傾いてて、いずれ取り替えなきゃいけないけど、先に直すところはいくらもあるから、きっと当分このままだろう。

そこはかとなく積もった泥を土のう袋に詰める。泥というのは一見ふつうの土っぽいが、湿ると質の悪い磯のにおいがする。埋まっている大小の漂流物を分別する。泥をかぶっても各種雑草は元気に育ち、ますます片付けがしづらくなる。

団地の2階以上は無事なので現役続行中だけど、あまり人気がない。たまに喪服の家族が出入りする。なにしろ町民の10分の1は行方不明で、3分の1は町外に退避してるんだものね。残った人は、仕事があれば仕事、なければ職探し、お葬式、法事、各種手続き、引っ越し準備、親戚の家の片付けの手伝い、明日ここに住めるかもわからないのに庭掃除してる余裕はないだろう。40人で4時間働いて余裕で終わるかと思ったら全然終わらなかったもの。

撤収の支度をしていたらサイレンが鳴る。2時46分。ちょうど100日目の合同慰霊祭だった。

釜石の中心街を通って盛岡に帰る。アーケード商店街の1階部分がめちゃめちゃになったままでいる。どの建物にも赤スプレーで×が書かれている。解体していいですよの印。

東京から来てるリピーターの女性と、盛岡から遠野を経由して沿岸の町に行く風景がいいのよねえという話で盛り上がった。この勾配のゆるい山とゆるい沢がいいのよねえ。小さな田んぼがいいのよねえ。たまに現れる鳥居がいいのよねえ。こんないい景色見せてもらえるなら泥そうじぐらいします。

途中には眼鏡橋もある。大正4年昭和18年改修RC。5連。細い薄い。単線の釜石線が走ってる。銀河鉄道も走ったらしい。(ググるといっぱい出てくるライトアップ画像は萎える。)田んぼと鉄道は日本の田舎の黄金コンテンツ。というか屋台骨。この国の半分ぐらいは米とコンクリートでできている。

つづく。


この日だけ6月 25日 土 .


再び岩手にがれき撤去に行ったのでまとめます。その1。

前回は東京発着のツアーに参加しましたが、今回は盛岡の駅近ホテルに泊まって、盛岡発着の日帰りボラバスに乗るという算段。車持ってないくせに団体旅行はやだとか言ってるろくでなしの私やあなたにはおすすめの方法です。

空路で花巻から入りました。空から見ると、きみどり色の田んぼパッチワークにところどころ目の覚めるような黄金色が混ざっている。本物の麦畑なんて見るの初めてだな。空港の隅にはまだ自衛隊キャンプの苔色テントが並ぶ。真夏みたいな青空。麦秋なんだね。

1日目は陸前高田。岩手県社会福祉協議会が出してる日帰りバス。無料。30人強。今日は男性多め。年代はきれいに割れている。盛岡発着だけど県外からの人のほうが相当多い。カナダ人もいた。6ヶ月の休暇(なにそれ)をとって日本に遊びに&働きに来ていて、最後の1週間は被災地でボランティアしてから帰るんだって。

陸前高田のインパクトは強烈だ。市街地だったらしいところはぜんぶ更地。地盤沈下して水がたまって巨大なため池みたいだ。これ中心街なんだよね。その隣は標高7mのがれき山。その隣は数百台の原形をとどめていない車の駐車場。その向こうに生き残った一本松。

今日の作業は海辺の田んぼの片付け。捜索は済んでいて(そういうところじゃないと素人は入れてくれない)、がれきがある程度まとまって積まれている状態。したがって屋根は屋根っぽい形のままだし、生活も原形をとどめて出てくる。神社のお札、昭和49年の年賀状、株券、ぬいぐるみ、3時17分で止まった時計。このまえ大槌で見つけた時計は3時20分だった。

それらの山をばらして、木と金属と瓦とその他に分けて、隅に積む。5〜6人の班ごとになんとなく持ち場を決める。大槌の河原を片付けたときは、海辺の松も台所の鍋つかみも全部こなごなのピースになっていて、自然と人工の境目がわからなくなるような、なんというか超越的な諸行無常を感じたけど、今回のほうが生々しい生活に触れるので心理的には堪える。

自作ポエムの紙も出てきた。「君への気持ち、英語でいえばI love youじゃなくてI'm loving you」みたいなやつ。写真やハガキと一緒にボラセンに届けたけど、作者本人が見つけたとしても名乗り出るかは微妙だな……

家が半分壊れた近所の人が大漁旗を干している。漁師のおじさんが田んぼに打ち上げられた船を直している。船体に赤で「コワサナイデ」と書かれている。太い縄で短くつないだ船はみんな転覆したけど、おじさんの船は細くて長い縄で泳がせるようにつないでたから無事だったんだって。

畦には紫色のツメクサが元気よく育っている。隣の田んぼでは富山から来たボラチームが同じような作業をしている。陸前高田の中心部ではひとまずがれきは減ったけど、周辺にはまだこんな手付かずの集落がけっこうあるんだそうです。


この日だけ6月 3日 金 .


その3。

現地に行こうと思ったのは、小暇と小金のある人間が行くべきだと思ったからですが、ちょっとためらったのは、非力で体力なしのみ江さんが役に立つのかということ。ボラバスがいろいろ出てるけど、すぐ満席になってなかなか取れないとも聞く。そんな貴重な席を私が埋めていいのか。私の席を屈強な若い男子に譲るべきではないか。

でもどうやらそうでもないらしいのだ。たとえば家の泥出しなんかも、床下は小柄な人の方が都合がいいし、依頼主にしてみれば見知らぬ人を家に上げるわけだから、女の人が来たほうが安心て面もあるようだ。依頼主の主婦やおばあちゃんが同年代の女性ボラに心を開いて話をしたりすることもあるみたい。河原掃除一つとっても、大勢で作業してると、スコップふるってがすがす進める人と、細かいものを丁寧に拾う人とが自然に出てくる。多様な人がいたほうがいい。人手は圧倒的に足りてないから、自分が行っても役に立たないだろうなんて思わないで、行った方がいい。

2日間現地でアテンドしてくれたのは、今井さんという自身も被災された方だった。宮古で勤めていた施設が流されて、自分の真横まで迫る波から走って逃げた。津波が来てからの生活、心情、私たちに望むこと、まっすぐに話してくれた。この人が添乗してくれたのは何よりだった。

今井さんが言ってたこと。ボランティアに来るのは興味本位でいい。考えるだけじゃなくて行動してくれた方がいいから。写真は遠慮しないで撮っていい。来た人には見たものを伝える義務があるから。がんばれって言われるのは突き放されたようで当惑するけど、がんばりましょうって言ってもらえると励みになる。

2日目は雨で、午前中の作業が中止になり、被害の大きかった陸前高田をバスで見に行くことになった。町がなくなったを通り越して地形が変わっていて、スタジアムの照明が海の中に立っている。今井さんの独断で連れてきてもらった。起きていることを見てほしいと思ったそうだ。だめなのは想像力がないことであって、好奇心があることではない。

実際にやってみて思ったのは、3日ぐらいはやる気まんまんで働ける。でもこれが1週間になったらちょっとしんどくなる。現実的にも、有給1日なら取れても、1週間となるとすごくハードルが上がる。ましてや現地で生活を営みつつ終わりの見えない復興作業を続けるのは、私なら正直むり。だから1日や2日でいいから、みんなで交代でするのがいいと思う。

阪神淡路の反省で、自給できないボランティアは行ってはいけないという認識が広まった。たしかに災害直後の混乱期はそうだ。でも今は周辺には、万全とはいかないけど、食事やお風呂を提供できるところもある。指示系統ができて、ボラセンも整備されてきて、素人が働ける環境が整ってきた。4月ごろに比べると、ボラバスもすごく増えた。自衛隊や警察や消防などのプロが献身的に働いてくれたおかげで、今度は素人がすべき仕事が山盛りある。観光業が大打撃を受けているから、営業しているところには泊まって、食事をして、おみやげを買って、お金を使うのも喜んでもらえる。遠野ふるさと村の人たちも本当によくしてくれた。

人手はいくらあっても足りてない。足手まといになることを気にしている人は、心配要らないと思う。特殊技能がない、長期間行けない、腕力がない、というのは問題ではない。専門知識もコンセプトもなくていい。時間とお金はちょっと要る。あと装備も。

わずか2日間、甚大な被害のごく一部に接したに過ぎませんが、何かの役に立てればと思って、記しておきます。@hajimewbさんがトゥギャってくれてとても助かりました。http://togetter.com/li/142022


この日だけ6月 2日 木 .


その2。

どうやって大槌まで来たかというと、岩手の観光バス会社が東京から出してるボランティアバスに乗ってきました。日程がちょうど合ったからであってべっべつに「宿泊:遠野ふるさと村内 伝統的な南部曲がり家」とか書いてあったからってわけじゃないんだからねっ!

ツアー人数は約30人、男女ほぼ同数で年代もきれいにばらけている。初ボラの人が多いがリピーターもいる。経験をひけらかす人も働かない人もいなくて、よい人たちに恵まれた。東京の人が多いが東海や九州からも来ている。職業はよく知らない、そんな話してないから。有給を一日取って来た人もいるしあと失業中の人もわりといたっぽいです。学生さんにはけして躊躇なく出せる費用でもないと思うが大学生も2人ほどいた。

作業は2日間で、2泊+車中1泊。2日目の作業後に1泊できるのが私のような体力なしにはありがたいです。宿泊先の遠野ふるさと村は古民家園。ふだんは校外学習とか以外は宿泊はしてないけど、特別にボラ拠点になっている。食堂で朝晩の食事と、あとお昼のおにぎりも作ってもらえる。生ビールもどぶろくも飲める。親戚のおうちで出してくれるようなごはんでおいしかった。お風呂はないけど、熱湯と水が交互に出てくる市営浴場に連れてってもらえる。クリーンセンターの熱で沸かすあれですね。

曲り家は人間と馬ちゃんが一緒に暮らすための家です。岩手といえば馬だからね。馬が住む土間部分と、人間が住む棟がL字型につながってるから曲り家。土間には馬のカイバを煮るための大きなかまどと釜のセットが埋まっている。へうげものの小堀遠州邸みたいなぐにゃんぐにゃんの柱や梁がいっぱい使ってあって風流だ。強度的にどうなんだ。まあ持ってるってことは大丈夫だ。棟梁スゲエ。一棟の田の字平面を開け放して女子13人ざこ寝。昼はふつうに営業するから、布団と荷物を奥の納戸的な小部屋にしまう。

遠野は三陸海岸からいちばん近い内陸の町なので、復興活動の拠点になっていて、自衛隊の車両をよく見る。そして道路の至るところに、地域住人手づくりの「支援ありがとう」の看板や横断幕がかけられている。

遠野の何がよいかと言って、田んぼ。あと線路。田んぼの区画がパッチワークみたいに細かくてかわいい。そこに盛り土をしただけの線路がつーと走っている。超かわいい。小さい山と小さい川と小さい田んぼが箱庭みたいに詰まっている。小さきものはみなうつくし。現役の茅葺き曲り家はもうないそうだけど、瓦やトタンに葺きかえた曲り家ならけっこうある。曲り家でなくても、つまり連結してなくても、母屋と、納屋とか厩舎的な棟とがL字に配置されてる民家もいっぱいある。

遠野から大槌まで1.5時間か2時間ぐらい。まず社協のボラセンに行ってその日の仕事を割り振られる。農協の作業場にテントを張ってサテライトになってる。ホワイトボードに依頼の一覧が書かれている。ほかにも何台かのボラバスと、有志で来てる人たちの車が停まっている。ガイジンチームもいる。

作業は9時から12時、あと1時から3時までと決められている。時間は地域によって違うみたいね。お昼にはテント下にブルーシートが敷かれて休憩できる。作業が終わると紙コップでうがい薬を渡される。泥はばいきんの巣だから長靴や道具はちゃんと洗う。日用雑貨なんかもここで買える。津波で流された大手ドラッグストアの仮設店舗もできてる。リピーターによるとGWの頃に比べてだいぶ整備されたそうだ。

今回の旅程にはミーティング的なものはなかったですが、夜は曲り家の板の間でナチュラルに飲み会になり、参加者スズキさんの見事な司会によってみんなの感想とか、他の地域の様子なんかを聞くことができた。考えをまとめることができた(まとまってないけど)のは、こうしてほかの人たちと話ができたおかげだ。建築の人はたいがいそうだろうが今までツアー旅行に参加したことがなかったけど、今回はツアーで本当によかったです。


この日だけ6月 1日 水 .


ボランティアバスに乗って岩手の大槌町に行ったので報告。自分なら現地に行った人に何を聞きたいかなあと思って書いてたら長くなった。分けます。その1。

仕事は2日間河原の掃除でした。大槌川という町の中心の川。河口から2kmぐらいのところだけど、家は浸水していて大量のがれきが流れついている。この河川敷一面に菜の花を植えるそうだ。

重機はすでに入っていて捜索も済んでいて、大きながれきは除かれているんだが、ここから先は人力で取り除くしかない。泥にいろんなものが混然一体となって混ざっている。建材はもちろん、レモン絞り器、北斗の拳コミックス、3時20分で止まった時計、500mほど下流の病院から流れてきたCT写真。ぜんぶ粉々になっていてあまり原形をとどめているものがない。衣類や紙はもう風化しかけている。でも若い女の子の化粧箱がまるごと出てきた。ヘアピンやマスカラやマニキュアと一緒に、星の砂の小ビンが入ってた。ビンはこなごなに割れていた。彼女にとっては宝物の箱。

かつて意味のあったものが全部小さく細かくなっていて、壊れたのは建物じゃなくて生活だったことを知る。それら人の生きた跡と同じぐらい木の枝も埋まっている。自然物と人工物の区別がよくわからなくなる。

河原には花が手向けてある。ここで人生を終えた人も多かっただろう。かつて何かだったものの破片だけが大量に残っている。重機が入って一見きれいになったように見えるけど。

「地球の歩き方様」とマジックで書かれたレーキをボラセンで借りて、掻いて拾うのくり返し。てごろな「きのぼう」をてにいれたのでぶきにする。すぐにあちこちに山ができる。プラでもグラスウールでも燃えるものは火をつけて端から燃やす。依頼者であるらしい近所のKさんがお茶を差し入れてくれる。

地域一帯に干物工場というか磯のにおいを8倍濃縮した感じのにおいがする。防塵マスクをしていてもすきまからまだにおう。見えるところの魚は片付けられていたんだけどね。がれきを燃やす煙のにおいと混ざる。

掘っても掘っても何かが出る。30人近くで一日作業をしても野球場の広さも終わらない。一度で済む作業ではなくて、雨が降って泥が流れたら、重機で掘り返して、また同じ作業をする。何度か繰り返してようやく菜の花の種を蒔ける。泥をかぶった田んぼや畑の面積を考えて気が遠くなる。

この菜の花プロジェクトを誰がどう運営してるのかは不明。Kさんが一人汗を流して取り組んでいるということしか。取材不足ですみません。役場ごと流されて町長さんも亡くなった町だし、行政主導で行われているとも思えない。「菜の花播種予定地 大槌町地域整備課」という看板はあるけど、どうも近所のおじちゃんが一人で進めているような雰囲気なのです。

まだ見つかっていない人がたくさんいて、片付いてないお宅もたくさんあるなかで、みんなのために一人で花を植えるというのは強い心の要ることなんじゃないかと思う。乗り越えなければいけないことも多い気がする、自分や家族に関する不安だけじゃなくて、被災者格差みたいなものとかさ。花より明日の飯だろと思う人もいるだろうし。下衆の勘ぐりかもしれないけど。

菜の花が咲いたらきれいだろうな。きっと慰霊と再生の象徴になる。来年見に来よう。


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